ただ、人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけ

撮影/武藤義

ただ、人には美しい瞬間と
醜い瞬間があるだけ

#平成最後のことば #ことばの宝物がtwitterトレンド入り!!

名女優・市原悦子が語る 生きること、演じること、語ること、
男と女、おしゃれ、
戦争体験、
老いること、死ぬこと

このページで紹介する市原悦子さんのことばはほんの一部です。
書籍には、さらにあなたの人生を豊かにしてくれる宝物のようなことばがたくさん。ぜひご一読ください

自分は不幸だけど人には情が厚い女。
そんな家政婦の秋子役は
とても好きです。

「第1回の放送には原作・松本清張の『熱い空気』があったんですけど、それを読ませてもらったら、とにかく本当にいやな女なんです。そんな女を演じなければいけないということがショックでした」 「自分は不幸だけど人には情が厚い女。そんな家政婦の秋子役はとても好きです」

『女性自身』1997年7月15日号
市原悦子 市原悦子

撮影/武藤義

自分は不幸だけど人には情が厚い女。
そんな家政婦の秋子役はとても好きです。

「第1回の放送には原作・松本清張の『熱い空気』があったんですけど、それを読ませてもらったら、とにかく本当にいやな女なんです。そんな女を演じなければいけないということがショックでした」 「自分は不幸だけど人には情が厚い女。そんな家政婦の秋子役はとても好きです」

『女性自身』1997年7月15日号

幸せな役にはあまり興味がないの。

「私、幸せな役にはあまり興味がないの。私自身はこれまでなんの事故もなく、ひとつの仕事をやりつづけてくることができた。だけどそうでない人、思わぬアクシデントに遭われた方ってたくさんいらっしゃるでしょ」 「自分だけのうのうとしてはいられない、せめて役での上だけでも辛いということを分かりたいと思っているんです」 「ほかに何もできないから女優をしているだけ」

『一個人』2001年7月号

ただ、人には美しい瞬間と
醜い瞬間があるだけ

「もう少し、美人に生まれていたらなぁ」 女優の道を歩いているなかでそう思うようになっていた時期もあった。だけど、美しさや醜さ、善と悪といったことを考え続けていたことで気づけたことがもある。 「役を作る上で、悪人善人というのはない、美しい人、醜い人というのもない。ただ、人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだと、思うようになりました。だから私にとって大事なのは、何をどう感じ、どんな思いをどう伝えるかということです」

『ゆうゆう』2011年3月号
市原悦子 市原悦子

撮影/武藤義

ただ、人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけ

「もう少し、美人に生まれていたらなぁ」 女優の道を歩いているなかでそう思うようになっていた時期もあった。だけど、美しさや醜さ、善と悪といったことを考え続けていたことで気づけたことがもある。 「役を作る上で、悪人善人というのはない、美しい人、醜い人というのもない。ただ、人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけだと、思うようになりました。だから私にとって大事なのは、何をどう感じ、どんな思いをどう伝えるかということです」

『ゆうゆう』2011年3月号

いまはだいぶなれ親しんだ顔だけれど、
十九才の娘のころは、
顔にコンプレックスを持っていた

(俳優座の養成所に通っていたころ、客演できていた憧れの俳優に出身を聞かれて) 「ふぅん、千葉の顔だねえ」 忘れられない思い出になっている。うれしくはない思い出・・・・・・。 「そのときは、ゾーッと冷や汗が出ましたよ。いまはだいぶなれ親しんだ顔だけれど、十九才の娘のころは、顔にコンプレックスを持っていたころだったでしょう。この顔がきれいだったら、どんなにいいだろうと思っているときでしたからね」

『主婦の友』1987年9月号

女って、どうも30歳代の後半のとき、
若い男に魅かれる時期ってあるみたい

「わたしね、30歳代の後半のとき、突然に若い人、それもぐっと年下の男の人に色気を感じたことあるの。どこにって、もちろん肉体もあるけれど、若さゆえの一途なものの考え方とか、壊されることがわかっていても、なお突き進んでしまう、怖くなるようなそのスリルに、いいなって思ったの」

『クロワッサン』1983年8月25日号
市原悦子 市原悦子

撮影/武藤義

女って、どうも30歳代の後半のとき、
若い男に魅かれる時期ってあるみたい

「わたしね、30歳代の後半のとき、突然に若い人、それもぐっと年下の男の人に色気を感じたことあるの。どこにって、もちろん肉体もあるけれど、若さゆえの一途なものの考え方とか、壊されることがわかっていても、なお突き進んでしまう、怖くなるようなそのスリルに、いいなって思ったの」

『クロワッサン』1983年8月25日号

色気は生まれながらに
その人が持っている
“華”とは違い、
養われていくものだと思う。

「生き方、考え方、経験・・・・・・。生きてきたことすべてが渾然一体となって、全身から発せられるもの。だから、役者も歌い手さんもあなたも私も、誰もが色気は持っているんじゃないかしら。だって、食べて寝ているだけの人なんていないでしょ。それなりに何かを積み重ねている。その経験が色気につながる。そして、生き方も経験もそれぞれだから、色気の質や匂いや意図はそれぞれに違うと思うの」

『ゆうゆう』2006年1月号

若さというのは傲慢ですね、
それ自体罪悪だと
思います。ところが自分が若さを失ってみないと、
そのことには気づけないんです

「昔の自分のインタビュー記事なんかを読むと赤面しますよ。言いたいことを言って礼儀知らずで、いつでも『私が私が』なの。自分以外のものを受け入れる度量がなかったんですね」 60代の半ばを過ぎたころからは、思うように動けない体になりつつあるのを感じだしていた。 「そうするとね、かなわぬ分だけ思いが膨らむんです。喜びも悲しみも、悔しさも夢もみんな深さが出る。思いが膨らめば、役者としての表現も膨らむのよ」

『婦人公論』2003年11月7日号
市原悦子 市原悦子

撮影/木村直軌

若さというのは傲慢ですね、
それ自体罪悪だと
思います。
ところが自分が若さを失ってみないと、
そのことには気づけないんです

「昔の自分のインタビュー記事なんかを読むと赤面しますよ。言いたいことを言って礼儀知らずで、いつでも『私が私が』なの。自分以外のものを受け入れる度量がなかったんですね」 60代の半ばを過ぎたころからは、思うように動けない体になりつつあるのを感じだしていた。 「そうするとね、かなわぬ分だけ思いが膨らむんです。喜びも悲しみも、悔しさも夢もみんな深さが出る。思いが膨らめば、役者としての表現も膨らむのよ」

『婦人公論』2003年11月7日号

私の好きな言葉に
“まな板の上の鯉”
っていうのが
あるんですけど、
希林さんのCMって
そういう
おもしろさがありますよね

対談した樹木希林さんが振り返っていたように、デビューした頃は、演劇が1番で、映画が2番。3番目のテレビは「ちょっとねぇ……」という位置づけだった。とくにCMは「役者がCMに出るなんて!」と見られがちだった。それでも希林さんのCMは面白くて、好きだった。 「希林さんがまな板の上に乗って、『どうしてもらってもけっこうですから!』って言っているみたいな(笑)」

『キネマ旬報』2015年7月1日号
読者からの声続々!! 読者からの声続々!!

市原悦子の書籍がすごい! 一度も生で拝見出来なかったのが悔やまれるが、この本で彼女は永遠にみんなの心の中で生き続けるだろう。表紙はいい写真だ。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️( 千葉県 ちゃむ 30代男性 )

平成というひとつのピリオドに、惜しまれつつ同時期に亡くなられた樹木希林さんとは並びで語られるも、自由な発言で多くメディアでも話題にされていた樹木さんと違い、「まんが日本昔ばなし」や「家政婦は見た」など演技では強く印象に残りつつ、自らのプライベートや思いを受け取る機会はほとんど覚えていない程である市原さん。しかし、彼女には「絶対何かある」と前からずっと思っていました。お亡くなりになってしばらく、Wikipedia にもいくらか逸話は残っていて感じ取れるものもありましたが、まだまだ消化不良。 そのような中、書店の棚で出逢った本著ではその期待を大いに超える偉大な人生訓がたくさん遺されていました。 「特別な美人ではなかった」市川さんが開いた「人には美しい瞬間と醜い瞬間があるだけ」という悟りは、現代の美しさ至上主義に苛まれる全ての女性。ひいてはコンプレックスを抱える全ての人類に捧げる賛歌ともとれる「ことばの宝物」そのものです。 平成に置いていくにはもったいない。令和の時代もまたその先にも、自ら本棚に置いて心が折れそうになったときに都度手に取りたい一冊です。

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️(特撮研さん 40代 男性)

戦争反対を語る一方で、10代のときに容姿について指摘されて、ずっとコンプレックスがあったことを告白するなど、市原悦子さんの多面がわかる。しかし、そのコンプレックスをバネにして、素敵な唯一無二の女優さんになった。昭和から平成を駆け抜けた名女優の生き方にふれられる一冊。 樹木希林さんの言葉もそうだが、自身が人生に惑う年代に入り、人生の大先輩の言葉に触れたいという思いが強くなっているこの頃。真面目なテーマからやわらかなテーマまで幅広いセレクトされている本書はサクッと読めるからこそ、何気なく開いてその時々の自分にちょっと喝を入れてもらえるような気がする。

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️(るおさん 40代 女性)

40を前にして、これまでの自分の生き方に後悔が生まれていました。また、老親の姿や昨今のニュースを見ているうちに、老いることへの未知なる恐怖や不安、後ろめたさのような感情が自分の中で大きくなるのを感じていました。 この本を読んで、年齢を重ねることも悪くないかもしれない、新しい時間の楽しみ方があるのではないかと思えました。 テレビで見て親しみを感じていた市原さんの言葉だから、素直に耳を傾けられたのかもしれません。

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️(MK 30代 男性)

小さなことにくよくよするのは、ムダなことですね。 市原さんの言葉の数々を読んで、そう思わされました。自分にはまだ到達できないけれど、これからの人生のヒントをいただきました。

⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️(まーりさん)

1984年12月30日に催された、都はるみの引退公演で、市原悦子が都はるみの「雨やどり」という歌に語りで花を添えてて。これが「添える」って感じよりも、堂々としてるの。前奏、間奏の語りの声で、市原悦子の世界に完全に持っていかれてて。歌を引き立ててるよりも、都はるみと二人で歌の世界を演じつつ、対峙してる。前後の語りのゲストと比べてもそれがよく分かる。司会者でなく、やはり役者だったと思わせる名場面かと。 https://youtu.be/2cYvOodzpZo 市原悦子の発する言の葉の一つ一つに改めて魅了されたい。

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⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️ 愛知県 ゆふぃお 40代男性

多くの番組を楽しんできましたが、戦争体験による人生観、お芝居への熱情、虐げられた人への想い、この本を読むまで、何も知りませんでした。もう新作は見ることができませんが、市原悦子さんという方の想いをどこかに感じながら、残された作品をまた見てみたいなと思います。 ⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️(サングリアさん)

ものの味わいが深く感じられるようになるのが50代。色気は養われていくもの。勇気づけられます。 市原さん、ありがとう。

twitterより shouyi(@dorleac_f)さん

凛とした品格を感じさせながら 親しみやすい可愛らしさを併せ持った大女優、市原悦子さんと同時代に生きられた事に感謝。

twitterより shouyi(@dorleac_f)さん

顔へのコンプレックスがあったことを何度も口にしてるのが素直で可愛いw

twitterより もふぞう(@mofuzou11)さん

撮影/武藤義

市原悦子 ことばの宝物

目次

市原悦子写真館
 女優
 夫婦
 おしゃれ
 着物
 『ゆうゆう全表紙』

第一章 生きるということ
第二章 戦争の経験
第三章 演じるという仕事
第四章 語るという仕事
第五章 男と女、そして夫婦
第六章 本当の美しさ
第七章 老いるということ
第八章 死ぬということ

第一章 生きるということ
第二章 戦争の経験
第三章 演じるという仕事
第四章 語るという仕事
第五章 男と女、そして夫婦
第六章 本当の美しさ
第七章 老いるということ
第八章 死ぬということ

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市原悦子
市原悦子

女優。1936年1月24日千葉県千葉市生まれ。1945年千葉県四街道市に疎開。1950年千葉市立末広中学校で演劇クラブに入る。1954年千葉県立第一高等学校卒業後、劇団俳優座付属俳優養成所に入所。同期に近藤洋介、塩見哲、福田豊士、大山のぶ代、川口敦子らがいた。1957年俳優座に入団。『りこなお嫁さん』『雪国』『千鳥』『セチュアンの善人』などに次々出演。1961年塩見哲と結婚。1962年『三文オペラ』。1964年『ハムレット』。1968年『人形の家』。1971年俳優座を退団。1975年『まんが日本昔ばなし』(1995年まで続く)、『赤い殺意』『トロイアの女』。1977年『時間よ とまれ』。1983年『家政婦は見た!』(2008年まで続く)の第1作にあたる『熱い空気』。1986年『その男ゾルバ』。1989年『黒い雨』。1994年『おばさん刑事 桜乙女の事件帖』(2017年まで続く)、『ゴトーを待ちながら』。1998年『うなぎ』。1999年『ディアーライヤー』。2003年『蕨野行』。2012年『おやすみ日本 眠いいね!』の『日本眠いい昔ばなし』(2019年まで続く)では眠りを誘う。2017年『しゃぼん玉』。2019年1月12日逝去。著書に『ひとりごと』『やまんば』『白髪のうた』、私家版『月に憑かれたかたつむり』(以上春秋社)。